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2024/09/19 04:11 |
「硫黄島からの手紙」

クリント・イーストウッド監督

61年前の第二次世界大戦。硫黄島でのアメリカ軍と日本軍の戦闘を、アメリカと日本の両方から描いた

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の二部作のうち、日本の視点で描いた「硫黄島からの手紙」を

見てきました。

 

この映画は、感動するものではありませんでした。少なくとも私には。

ただ一言、「むごい」としか言い様がありません。

あまりのむごさに、私は涙が止まりませんでした。

 

 

 私はあまり戦争映画は見ません。

フィクションであってもノンフィクションであっても、怖くて恐ろしくて、夢にまで見るからです。

その時代を生きた人がどんなに無念な感情を抱いていたのか、私の小さな心では計りきれるわけがなく、

それを思うと心が壊れそうになります。

感情ではなく実際に。

どうしても映画館でこの映画を見たかったのは、なぜだかわかりませんが、なぜだか見に行かなければ

ならないような気がしていました。

 

最初に、これがアメリカ映画だというのが不思議なくらいに、知らなければ日本人が作った映画だと思った

でしょう。

アメリカ映画の戦争ものというのは、私からすると「アメリカ人が正しくて、日本人はただ弱くてバカなだけ」

というイメージでした。

最初の数シーンで、そのイメージが翻りました。

そして、監督に感謝と尊敬の気持ちを持ちました。

私は硫黄島の戦闘を知らず、学校で習う戦争以外の知識はほとんどないことを、恥じなければなりません。

正直、戦争の話を聞くことも、戦争のテレビ番組を見ることも、戦争の跡形を知ること事態が

恐ろしくて苦しくて仕方がありません。

戦争を知らない私や、私よりも若い世代にとっては、戦争は紙や画面の上でしか知ることができない

出来事です。

私はよく、兵士として戦争に行った家族を持つ知り合いと第二次大戦の話をしていました。

実際に戦争に行った人の話、これからの話。

紙や画面の中でしか知ることができなくても、私は戦争がとても嫌でした。

勝ち負けや正義や名誉。どんな名目をかざしても、そこには悲惨な結果しか残らないと思うから。

多くの日本人が思うことだと思います。

「敗戦国だから間違っていた」のではなく、多くの戦死した兵士たちは心から「お国のために」喜んで

死んでいったわけではないと。

戦いたくは無かった。死にたくは無かった。

だけれど、「死ぬ」か「生きるか」の選択肢すら彼らは持っていなかった。

それを、アメリカ人の監督は映画を通して世界に伝えてくれた。

どんな理由にしても、戦争には反対だと思っている私には、とても良い映画を作ってくれたと思いました。

 

 

 戦争映画と一言に言っても、硫黄島での戦闘がどのように繰り広げられたかという映画ではないと思います。

硫黄島での戦闘を通じて、そこにいた人々がどのように生きていったか、死んでいったか、

何を思っていたか、どんな変化があったか。

そんなことが伝わってきます。

まだアメリカ軍が攻めてきていない時、兵士たちには文句を言う余裕があり、中でもあまりに自我がはっきり

している西郷(二宮和也)にははらはらさせられる。

そんな西郷にも、胸が締め付けられるような感情があり、当時の徴兵制度がどれほど冷酷なことだったか

痛感してしまう。

兵士には逆らえない。上官には逆らえない。従わないと生きていけない。

守りたい者のために必死だった。守りたい者のために戦った。守りたい者のために死んでいった。

自分が生きるために、大切な人を守るために。

栗林中将(渡辺謙)が反発する上官たちに向かって言う。

「本土にいる子供たちが一日でも長く安泰して生きられるなら、我々がこの島を守る一日には

意味があるんです」

兵士に向かって言う。

「決して死ぬな」

バロン西が言う。

「自分が正義と思うことを貫け」

 

最初の空爆シーンで、予告もなく予感もなく死ぬということがどういうことなのだろうと考えました。

そして、彼らにとって、一日という時間はとても凝縮された時間だったのだと知りました。

一日が終わる。一日が始まる。

「明日」がなかった彼らにとって、一日を終え、どんなに悲惨なことが起こるかわからない一日を始めることは

どんなに恐ろしかっただろうと思う。

現代に生きる私を含めた多くの人々にとっては、明けない日はなく、昇らない太陽はなく、どんなに絶望して

いても未来はある。

彼らには、明日すらなかった。次の一秒すらなかった。

限りない未来がある私たちから、明日がなくなる戦争をどうやって想像できる?

どうやって、彼らの心を想像すればいいんだろう?

そう思うと涙が止まらなくなりました。

 

生きるために、名誉を捨て白旗を揚げた若者を、無残に殺す敵兵。

きっと、そんなことはざらにあって。

何もかもがおかしくなって。

伊藤中尉(中村獅童)が、軍人としての誇りを持って栗林中将に反発し、一人になり闘いからはずれ

無になったときに何を思ったのか。

人としての本能を取り戻したんだと思いました。

映画が終わったあと、私の後ろに座っていた女性二人がこんな話をして笑っていました。

「無駄な死に方はしたくないって言った人が一番無駄な死に方してるじゃんね」

軍人としての義務を貫こうとしたけれど、人の心を捨てられなかった清水(加瀬亮)の死に方が

無駄だったとは私は思えない。

彼は精一杯生きようとした。名誉も捨て、生きようとした。大切な人のために。

どんな死に方でも、戦士した兵士たちに、無駄な死はなかった。

「我々の死は後世で讃えられるはずだ」と言った栗林中将の言葉は真実だ。

 

 

 今も世界のどこかで戦っている兵士たちがいる。

生きて帰ることを祈っている家族たちがいる。

なんのための戦争か、なんのために戦うのか。

たとえそこから富や名声や平和が生まれても、人一人の命を奪う価値すらあるとは思えない。

「硫黄島からの手紙」からは、なんのすがすがしさも、なんの感動もありませんでした。

人の心を奪うことのむごさ。

彼らのおかげで私たちがいること。

彼らに感謝し、彼らが言えなかった「生きて帰りたい」を、

現代に生きて未然に防げる私たちは言わなければいけないんだと思います。

どうか、争いなど起こらないように。

多くの人たちの悲しみも憎しみも、すべてが消えてなくなる日が来るように。

祈らなければいられないような映画でした。

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2007/02/12 03:03 | Comments(0) | TrackBack() | 映画

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