―私はもうすぐここからいなくなってしまうけれど、また雨の季節になったら、二人がどんなふうに暮らしているのか、きっと確かめに戻ってくるから。―
一年前に死んだ妻が残した言葉。
夫・巧と息子・佑司は、妻・澪が残した不思議な言葉を思い出しながら雨の季節を迎える。
映画化・ドラマ化された「いま、会いにゆきます」の原作。
私は映画館で映画を観て、予約してDVDを買った(限定版)。
書籍を映像化するのはあまり好まない。
このお話は、先に映画を観てよかったと思う。(ドラマは一話だけ見て見るのをやめた。)
映画が上映される前、澪役の竹内結子がインタビューでこんな風なことを答えていた。
”脚本を読んで、「いま、会いにゆきます」というタイトルの意味がわかった時に涙が出てきました。”
私も、このタイトルの意味がわかった時、顔があげれなくなりました。(その前から泣いてはいたけど。)
そして、DVDを買って一年後。
行く予定のなかった青森市の図書館で、私はこの本に出会うわけです。
海が見える空に近い広い図書館の中で、半分くらい、このお話を読みました。
巧が、佑司のために、そして忘れないために書いた小説。(という設定)。
言葉たちはとても優しく、流れる空気はとても暖かい。
”幸福なだけではないけれど”、誰かを愛することはとても幸せなことなんだ。
それは人それぞれで、どこかで秘めた想いを隠していて、それでも笑っていて。
「わたしはあなたを幸せにできていた?」「幸せだったよ」
それを確認するために、もう一度「出会い」と「別れ」を繰り返す。
映画とは違って、時間の流れがとてもゆっくりに感じました。
もちろん、2時間の映画よりも中身が濃いのは当たり前なのだけど。
巧と澪、巧と佑司、佑司と澪。巧と澪と佑司。
3人の関係性がとても複雑で、ただ「愛してる」だけではなくて。
こんなに深く家族を想うことができるのは、とても幸福であってとても苦しいことなんだと。
自分で選んだ人生。
この人生しかないと決めた。
だけど本当にそれでみんな幸せだった?
簡単に聞けそうで聞くのがとても怖い質問。
だけれど、言葉にしなければ伝わらない・わからない気持ちは絶対にある。
小説の中の、「たっくん」と「佑司」の会話。
とても暖かくて、私もいつか子供ができたら、こんなお話をしてあげたいと思います。
二人の一つ一つのエピソードは微笑ましいし苦しくもなる。
こんなに必死で親密な関係を誰かと築きたくなる。
どちらが保護者かわからないけれど、たくさんの不具合を抱える父親を、煙たがらずに思いやる息子。
それだけでも胸が苦しくなる。
”幸せなだけではないけれど”、幸せなエピソードを大切にできることは幸せで。
だけれど、大切な人を大切にするのは難しい。
相手はそれで本当に幸せ?
そんな問いかけはきっとなくならない。
「愛があれば他に何もいらない」ようなお話だけど、本当にそれだけ愛せる人たちが現れたら
きっとそんな人生を選んでしまんだろうな。
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これ映画でみました。かなりありえないストーリーですが、それだけに感動もひとしお。。。
そっかぁ、小説も面白いんですね?今度読んでみよっかなぁ。
しかもこの記事、私の誕生日だw(どうでもいいけど)
市川拓司の話も文章も私は好きですね。有り得ない話なんですけど、暖かい感じがして。今度読んでみてください☆