2006年のはじめ
湖の上に浮かぶ家を後にするケイト。
家の前にあるポストに、次の住人に宛てた手紙を入れる。
周りに誰もいないはずのポストが音を立てる。
ポストを開けると、入れたはずの手紙がなくなっていた。
手紙は、2年前の2004年の湖に浮かぶ家のポストに届いていた。
キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの「スピード」カップルが再共演した映画「イルマーレ」。
洋題では「the LAKE HOUSE」かな?
以前、韓国で話題になった映画「イルマーレ」のリメイク。
私は見に行った後に知ったのだけれど、もしかしたら韓国版の方が良いかもしれない。
だからと言って、ハリウッド版が良くないというわけではないです。
というのは、ポストを通じて2年という時間を越えて手紙をやり取りするという有り得ないお話
(ファンタジーと言えばいいかは私はわからないけれど)
そしてその二人が恋をするというベタな展開は、韓国の得意分野ではないかと思うから。
もっとも、ハリウッドの恋愛映画よりも韓国の恋愛映画が私が好きというのもあるのだけど。
「そんなベタな!」と思う展開を、韓国映画(ドラマ)はこれでもかというくらいにベタベタにしてくれるから。
それくらい、先が読めてありふれているお話。
だけど私はこの映画がとても好き。
まず、湖の上の家がとても素敵。最初のシーンでケイトが見る湖の家がとても綺麗。
アレックス(キアヌ)のgirl frendが彼に放った台詞には笑ったけれど、とても素敵だと思う。
そして最初のデート。ケイト(サンドラ)が見つけるメッセージに私も思わず微笑んだ。
シカゴという街に行ってみたいと思ったし、この町でも素敵な建物を探しに行こうかと思った。
手紙だけを通してコミュニケーションを取る二人→恋に落ちる二人。
ありきたりなストーリーだけれど、アレックスがケイトの手紙を読んでする行動に、
ケイトの手紙に心を感じて、ケイトをとても大切に想っていることが見て取れて、
そんな細かいところに暖かさを感じました。
2004年でのキアヌの行動。
知っている彼と知らない彼女。
溜まっていく手紙。
自分が去る家を、いつか住むはずの彼女のために綺麗にする。
2年後の彼女のために残したメッセージ。
全部が切なくて、胸がキュンとする。
アレックスと彼の父親とのエピソードはこれまたありきたりだけれど、父親が彼に話す言葉は
今の私にとって説得力のあるものでした。
親子っていうのは、どれだけ反発していても、どこか似てしまったり、どこか離れられずにいたり、
そういうものだと思っている私には、これまた「ありきたりな」親子なのだと思いました。
こんな親子だからこそ、兄と弟が仲良くバレンタインの話をしていられるのだと思うし。
2004年と2006年、「そんなに変わらないわ」というケイトの台詞通り、2年という歳月は何かが起こらない限り
劇的な変化があるものではなくて。
同じ街、違う時間に、同じ場所にいる二人が交わす言葉。
どんな気分なんだろう。
2年前に彼が住んでいた場所に、現在の彼女が住む。
同じポストで手紙を交換しているのに、そこに相手はいない。
同じ時間にもお互いは存在しているわけだけれど、手紙でしかコミュニケーションがとれないわけだから、
お互いの「その時」がわかるわけではなく。
だから私は、ラストのシーンは「そうなればいい」と素直に思えた。
ラストはファンタジーらしく(?)先が読める展開。
今にして思えば、韓国お得意の「すれ違い」だったのかとも思うのだけれど。
このラスト、評判は悪そうだなぁとちょろちょろ見て思ったけれど、私は好きなラストでした。
でなければ、二人が2年の時間を隔てていた意味がないと思うから。
ちなみに私は、随分と前から泣いていました。
一緒に観に行った先輩に、「泣きすぎだから」と笑われました。
展開がわかるからこそ涙が先に出てきて。
美しい建物や美しい湖の上の家。
ラブストーリーには欠かせない要素。
ラブストーリーは、凝った演出よりも「ありふれた展開」「ベタベタな展開」の方が重要だと思う私は
「可もなく」「不可もなく」この映画が好きだと思いました。
韓国版も借りてこようかと思います。
大塚愛大好きを豪語する私。
大塚愛の何が好きって、一目見て「女の子だ!」って思えるあの雰囲気。
そんな彼女が紡ぎ出す言葉たちは、やっぱり女の子で。
<恋愛写真>
全部は聴いていないのに、涙が出た。
「私も、残しておきたい景色がたくさんあって、夢中でシャッターを押したよ」
心の中でしか再生できない写真の数々。
私が言葉にできない想いを、こんなに可愛い詞にしてしまう彼女が、やっぱり私は大好きだ。
”切ない幸せ”
私も、一瞬一瞬を残しておきたくて、夢中で1コマ1コマを胸に刻みつけていた時は、切ない幸せだった。
私だけしか見てない瞬間。
悲しすぎて、幸せすぎて、そんな時はいつも目に涙を溜めてた。
私は、「もうこれで会うのが最後かもしれない」と思うことばかりで。
「もう二度と会えないかもしれない」
「もう二度と触れないかもしれない」
「もう二度と、この笑顔も寝顔も瞳も、見ることはできないかもしれない」
そう思っていたから、どんな景色でも残しておきたかった。
だから今も、心の中に残っている写真がいっぱいある。
もう実物は見ることは二度とできないけど、残しておけてよかったと思う。
私の目は濡れていたけど、そこに写っているモノは全て幸せな光景だから。
私のこんな心を、詞にしてくれてありがとう。
大塚愛の歌詞は、女の子の気持ち、女の子の目線で書かれたものが多いと思うんだけど。
この曲は、男の子でも「そういうことってあったかな」って思う曲なんじゃないかな?
なんていうか、恋愛をしていて幸せな瞬間って、こういう時だったよなぁっていうか。
この曲は映画『ただ、君を愛してた』の主題歌で、きっと彼女はこのお話にリンクして創ったのだと思うんだけど、原作が市川拓司だし、確かこのお話は男性主人公だったと思うので、それも自然なのかな。
幸せの瞬間って、やっぱり自分の中でしか保存しておけないと思うし。
それがプレゼントだったり、一緒に聴いた曲だったり、一緒に観た映画だったり、
物体化できたとしても、やっぱり「幸せ」は心が感じるモノだから。
それが、確実に失うことがわかっていて、心に留めておくっていうのは、”切ない幸せ”なんだろうな。
二人で写っている恋愛写真。
幸せが写っている写真を見て、あなたならどう感じる?
私は切なくて、悲しくて、幸せで、嬉しくて、苦しくて、
微笑みながらも涙が出るよ。
彼女がデビューしたのは私が中学3年生の頃。
「この人スキ」
そう思った。
それからもう8年。
彼女の新しいアルバムを聴いて思う。
「あぁ、なぜこの人はいつも、私の心を読むんだろう?」
ありがちだけれど、彼女が新曲を出すたびに、私の心境といつもかぶった。
”とまどいながらでもいいから愛してほしい
そんなこと言わなくてもわかってほしいのに”
初めての彼氏がいつまでたってもキスすらしてくれない時には<Movin’on without you>
”I wanna be with you now
いつの日かdistanceも抱きしめられるようになれるよ
we can start sooner
やっぱり I wanna be with you”
遠くにいる人を好きになった時は<DISTANCE>
そうやっていつも、彼女がリリースする歌に、私は自分を投影してた。
久しぶりに出たアルバム。
やっぱり私は、彼女の歌う歌に共感する。
今も、8年前も。
私は久しぶりに彼女の歌を聴いて、車の中で泣いた。
なぜかわからないけど、「これ以上私にわからせないでよ」と、思った。
「わかってるから」と。
”あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない
小さな地球が回るほど 優しさが身に付くよ
もう一度抱きしめたい できるだけそっと”
この小説は、よしもとばななの作品の中で、一番好きかもしれない。
私がいつこのお話に初めて出会ったのか、正直定かではない。
覚えているのは、高校の現代文の問題集に、問題として掲載されていたのを読んで、どうしても続きを読みたいと思ったこと。
その後、図書館や本屋で探してみても、この表題を見つけることはできなかった。
この本に再び出会ったのは、去年の冬だったと思う。
図書館で、また検索をかけて、やっと見つけた!とすごく喜んだ。
だけど読み進めていくうち、私はこのお話を以前に最後まで読んだことがあることを思い出した。
が、それがいつ、どこでなのかは覚えていない。どうしても思い出せない。
「キッチン」に収録されていたということだから、きっと「キッチン」を読んだ高校生の時のはずで、「キッチン」を読んだ時のことは思い出せるのに、「ムーンライト・シャドウ」を読んだことを思い出せないということは、その時の私はまったくこの作品に思い入れがなかったということになる。
こんなに好きになるとは、その頃の私は思いもよらなかったのだろう。
よしもとばななの作品は、どれもとても不思議な空気がある。
とても不思議な空気が。
よしもとばななの「白河夜船」という小説。この作品もまた、私には深い思い入れがあって、「ムーンライト・シャドウ」と同じくらいに好きだが、それはまたいつか読んだ時に書くとして。
どうしてこんなに、私を不思議な世界へ連れていってくれるのか、文章ひとつでこんなに世界がゆがんで見えるのか、よしもとばななは魔法使いなのかと思う。
「ムーンライト・シャドウ」は、主人公の女の子(女性、と言ったほうが適切かもしれない)が、大切な人を失った苦しみを、ただ淡々と語っている。
ただ、淡々と。
私にはそう思えた。
ただ淡々と、主観的に。
過去を追い求めているわけではなくて、失われたはずの大切な人との未来を見つめて。
それがとても悲しい。
彼女が語る言葉たちは、大切な人を亡くして悲しんでいる言葉のはずなのに、なぜかそれがただの言葉にしか見えなくて、だけどそれがかえって悲しい。
本当の思いを、言葉にするとやけに薄っぺらいものになってしまって、言葉と思いの温度差がとても大きくなってしまうように。
小説のはずなのに、本当に大切な人を失ってしまった人の言葉のように響いてしまって、私の頭は真っ白になってしまう。
それがとても悲しくて、だれかこの人たちを助けてあげて!と言いたくなる。
何度読んでも。どこで読んでも。
声に出して読みたくなる小説。
そんなお話には、そんなに出会ったことはないけど、声に出して読みたくなる言葉たちだ。
もう、このお話は何度も読んでいるけど、いつも思ったことをうまく言葉にできない。
言葉にすると、「コレも違う、アレも違う」と思って、余計に思いから遠く離れてしまう。
けれど、言葉に反して心はとても一杯になる。
何度も出会いたくなる。
どうしてもこのお話を読みたくなる夜が来る。
短いお話。いつも一気に読む。
ゆっくりと、時間をかけずに。
私はまたいつか、このお話を読みたくなる。
そんなお話。
はじめに
このブログは、私が普段読んだり、見たり、聴いたりした小説や映画や音楽などの感想を、
その時々に思ったままに、書いていくものです。
決して評論などではなく、私がただ感じたままを残したいと思い、
そして、いつかまた読み返した時には、あの時はこんなことを感じていたんだと確認するために、
残していくものです。
よく、評論めいたモノを目にしますが、私はそういったものを書いていくわけではありません。
このブログを読んで、興味を持ったり考えたりしてくれる人がいるなら、とても嬉しいと思います。
ただ、私のちっぽけな経験と知識とで書いた感想を、
読んでくれる人たちに強制するつもりはありません。
もし、こんな私の拙い文章と貧相な感想を読んでいただいて、興味を持っていただけて、
作品を手にとってみていただけたら、感想を聞かせてください。
「時間を無駄にした」「私はこう思うんだけど」
そんなやりとりができたら、とても楽しいと思います。
そんなことができるくらいのブログにできるかどうかはわかりませんが。
2006.8.16
雨の音を聞きながら。
ジャスミン