忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/09/19 03:57 |
スパイダーマン3

一言で言わせてください。

とにかく、苦しくて見たのを後悔した。




 クライマックスは、普通のヒーロー物って感じで大丈夫だったのだけれど。
最初の30分くらいは、だからなんでわざわざこんな悲しい話にしなきゃならないんだって思った。

 スパイダーマン1から話はずっと続いているんだけれど、3では今まで絡まっていた糸が
ほどけたって感じかな。
私がスパイダーマン面白いなぁって思ったのは、悪人がいて、それをヒーローであるスパイダーマンが
倒してハッピーエンドっていう単純なものではなくて、そこにたくさんの欲望や葛藤や誤解や苦労や
人間味に溢れたものがいっぱいあって、そういうところがスキだったのだけれど。
なんだかもう、そこまで救いようがない話にしなくていいじゃんって、開始30分で思ったよ。

きっと私が言うほどではないんだろうけど。
私はとにかく嫌なの、苦しくなるのは。
守りたい者のために悪になるとか。
叶えられない願いのために歪んでゆくとか。
消し去れない後悔のために苦しむとか。
どうしても抗えない地位に押しつぶされるとか。
そういう、目を背けたいものがありすぎて、実際目を背けてしまった場面がいくつか。


 映像はすばらしかった。
CGはもちろんだけれど、すごくカメラワークのテンポが良くて飽きない。
私はハリーが大好きで、1からずっと大好きで、病院で目が覚めたときのあの笑顔に胸キュン。
だから復讐に燃えている時も、スパイダーマンよりもハリーに肩入れ。
格好も何もかもがかっこいい。

それに比べ、ピーターは1からそんなにスキではない。
特に3では、復讐心に負けるところや黒くなって調子乗るところとか、もーダメじゃん!とか思う。
人には必ずそういうところはあるんだけれど、だからこそ見たくないというか。
たまには負けてみたら、と。



 そして、私は感情移入をしすぎる。
その時々の自分の精神状態で、感情入れるところが変わってしまう。
きっと今の私は、人の醜い部分や尊い部分を見たくないんだと。
こうやって感想文を残すのも、見た時に感じることはきっと違うから、それを残しておきたくて。
とにかく今の私は、汚い自分から逃げたいんだということ。
「かっこいい自分」を脱ぎ捨てて、真のヒーローに。
なるのは意外に難しいということ。
ピーターはかっこ悪くても真のヒーローなのよ。

PR

2007/05/18 22:28 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「硫黄島からの手紙」

クリント・イーストウッド監督

61年前の第二次世界大戦。硫黄島でのアメリカ軍と日本軍の戦闘を、アメリカと日本の両方から描いた

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の二部作のうち、日本の視点で描いた「硫黄島からの手紙」を

見てきました。

 

この映画は、感動するものではありませんでした。少なくとも私には。

ただ一言、「むごい」としか言い様がありません。

あまりのむごさに、私は涙が止まりませんでした。

 

 

 私はあまり戦争映画は見ません。

フィクションであってもノンフィクションであっても、怖くて恐ろしくて、夢にまで見るからです。

その時代を生きた人がどんなに無念な感情を抱いていたのか、私の小さな心では計りきれるわけがなく、

それを思うと心が壊れそうになります。

感情ではなく実際に。

どうしても映画館でこの映画を見たかったのは、なぜだかわかりませんが、なぜだか見に行かなければ

ならないような気がしていました。

 

最初に、これがアメリカ映画だというのが不思議なくらいに、知らなければ日本人が作った映画だと思った

でしょう。

アメリカ映画の戦争ものというのは、私からすると「アメリカ人が正しくて、日本人はただ弱くてバカなだけ」

というイメージでした。

最初の数シーンで、そのイメージが翻りました。

そして、監督に感謝と尊敬の気持ちを持ちました。

私は硫黄島の戦闘を知らず、学校で習う戦争以外の知識はほとんどないことを、恥じなければなりません。

正直、戦争の話を聞くことも、戦争のテレビ番組を見ることも、戦争の跡形を知ること事態が

恐ろしくて苦しくて仕方がありません。

戦争を知らない私や、私よりも若い世代にとっては、戦争は紙や画面の上でしか知ることができない

出来事です。

私はよく、兵士として戦争に行った家族を持つ知り合いと第二次大戦の話をしていました。

実際に戦争に行った人の話、これからの話。

紙や画面の中でしか知ることができなくても、私は戦争がとても嫌でした。

勝ち負けや正義や名誉。どんな名目をかざしても、そこには悲惨な結果しか残らないと思うから。

多くの日本人が思うことだと思います。

「敗戦国だから間違っていた」のではなく、多くの戦死した兵士たちは心から「お国のために」喜んで

死んでいったわけではないと。

戦いたくは無かった。死にたくは無かった。

だけれど、「死ぬ」か「生きるか」の選択肢すら彼らは持っていなかった。

それを、アメリカ人の監督は映画を通して世界に伝えてくれた。

どんな理由にしても、戦争には反対だと思っている私には、とても良い映画を作ってくれたと思いました。

 

 

 戦争映画と一言に言っても、硫黄島での戦闘がどのように繰り広げられたかという映画ではないと思います。

硫黄島での戦闘を通じて、そこにいた人々がどのように生きていったか、死んでいったか、

何を思っていたか、どんな変化があったか。

そんなことが伝わってきます。

まだアメリカ軍が攻めてきていない時、兵士たちには文句を言う余裕があり、中でもあまりに自我がはっきり

している西郷(二宮和也)にははらはらさせられる。

そんな西郷にも、胸が締め付けられるような感情があり、当時の徴兵制度がどれほど冷酷なことだったか

痛感してしまう。

兵士には逆らえない。上官には逆らえない。従わないと生きていけない。

守りたい者のために必死だった。守りたい者のために戦った。守りたい者のために死んでいった。

自分が生きるために、大切な人を守るために。

栗林中将(渡辺謙)が反発する上官たちに向かって言う。

「本土にいる子供たちが一日でも長く安泰して生きられるなら、我々がこの島を守る一日には

意味があるんです」

兵士に向かって言う。

「決して死ぬな」

バロン西が言う。

「自分が正義と思うことを貫け」

 

最初の空爆シーンで、予告もなく予感もなく死ぬということがどういうことなのだろうと考えました。

そして、彼らにとって、一日という時間はとても凝縮された時間だったのだと知りました。

一日が終わる。一日が始まる。

「明日」がなかった彼らにとって、一日を終え、どんなに悲惨なことが起こるかわからない一日を始めることは

どんなに恐ろしかっただろうと思う。

現代に生きる私を含めた多くの人々にとっては、明けない日はなく、昇らない太陽はなく、どんなに絶望して

いても未来はある。

彼らには、明日すらなかった。次の一秒すらなかった。

限りない未来がある私たちから、明日がなくなる戦争をどうやって想像できる?

どうやって、彼らの心を想像すればいいんだろう?

そう思うと涙が止まらなくなりました。

 

生きるために、名誉を捨て白旗を揚げた若者を、無残に殺す敵兵。

きっと、そんなことはざらにあって。

何もかもがおかしくなって。

伊藤中尉(中村獅童)が、軍人としての誇りを持って栗林中将に反発し、一人になり闘いからはずれ

無になったときに何を思ったのか。

人としての本能を取り戻したんだと思いました。

映画が終わったあと、私の後ろに座っていた女性二人がこんな話をして笑っていました。

「無駄な死に方はしたくないって言った人が一番無駄な死に方してるじゃんね」

軍人としての義務を貫こうとしたけれど、人の心を捨てられなかった清水(加瀬亮)の死に方が

無駄だったとは私は思えない。

彼は精一杯生きようとした。名誉も捨て、生きようとした。大切な人のために。

どんな死に方でも、戦士した兵士たちに、無駄な死はなかった。

「我々の死は後世で讃えられるはずだ」と言った栗林中将の言葉は真実だ。

 

 

 今も世界のどこかで戦っている兵士たちがいる。

生きて帰ることを祈っている家族たちがいる。

なんのための戦争か、なんのために戦うのか。

たとえそこから富や名声や平和が生まれても、人一人の命を奪う価値すらあるとは思えない。

「硫黄島からの手紙」からは、なんのすがすがしさも、なんの感動もありませんでした。

人の心を奪うことのむごさ。

彼らのおかげで私たちがいること。

彼らに感謝し、彼らが言えなかった「生きて帰りたい」を、

現代に生きて未然に防げる私たちは言わなければいけないんだと思います。

どうか、争いなど起こらないように。

多くの人たちの悲しみも憎しみも、すべてが消えてなくなる日が来るように。

祈らなければいられないような映画でした。


2007/02/12 03:03 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「マリーアントワネット」

中世ヨーロッパ。オーストリア皇女から、フランス王室との政略結婚でフランス王妃となった

マリーアントワネットを描いたソフィア・コッポラ監督3作目。

 とにかくきらびやか!!

私は単にこの映像が見たいがために映画館まで足を運びました。

ソフィアの最新作というのもあったし、キルスティン・ダンストが主演っていうのもあって。

前評判はあまり良くなかったので、中身はあまり期待はしてなかった。

 

 私はあまり勉強が好きではなかったし、歴史には興味があっても、何がなんだかわからなくなるので、

マリーアントワネットに対する知識というものはほとんどなく見ました。

一応、大学でフランス革命とか、その前後の授業は受けたはずなんだけれど。

おもしろいと思っても、やっぱり覚えてないのね。というかわかってなかったわけで。

だから、歴史ファンとか、マリーアントワネットファンとかが、この映画に興味持って観に行ったとしても、

私の感想とはかなりかけ離れると思います。

だって、私は正直、歴史的背景をほとんど知らないから、「それは歴史的には間違ってる」とか

私はわからない。

ということで、このことを前提に読んでいただけると嬉しいです。

 

 まず、イントロで「お?」と思う。

あー、やっぱりソフィアなんだなぁ、みたいな。

「マリーアントワネット」なんてタイトルだし、この映画の記事とか読んでも「悲劇の王妃の孤独を描いた」とか

書いてあるし、やっぱり歴史モノだよなぁと思ってた私は、そのイントロがあまりに現代的すぎて、

「やっぱりソフィアだなぁ」と思ってしまった。

そして、最後まで見た感想も、「やっぱりソフィアだなぁ」と思ってしまった。

 

まず、映像がとても素敵!

男の人は何も面白みがないと思うだろうけど、女の子が見たら誰でも目がキラキラすると思う。

お菓子や服や髪型やドレス。それに靴!

どれもがキラキラしていて、色鮮やかで、おしゃれをしたくなる。

それらを身に纏ったキルスティンが舞踏会やオペラで華やかに動く。

とってもgirlyで、とっても綺麗。

それに、実際のベルサイユ宮殿で撮影されたっていう豪華な舞台。

視覚は何もかもが素晴らしい。

 

 何も知識がない私にとっては、18世紀のフランス貴族たちはこんな生活をしていたのか?と思った。

夜遊び・二日酔い・ギャンブル・下ネタ・浮気・・・。

そら楽しい人生だわ!ってくらい、贅沢気ままな生活をしてたんだなぁと。

王妃って暇なのね、と。子供を産むだけが王妃の仕事なのか、と。

映画は、マリーアントワネットがフランスに嫁ぐところから始まるんだけれど。

政略結婚は仕方が無いし、ならば幸せを見つけようとするマリーアントワネットの純粋さや前向きさに

幼さを見るんだけど。

そんなマリーアントワネットが、フランス王室に入って、旦那には相手にしてもらえず、子供ができないのは

まるで自分のせいだと言われ、義弟夫婦に先に子供ができてしまう。

政略結婚でも希望を持って嫁いできたのに、そんな仕打ちをされたら、そら遊んで発散しようと思うわな。

夜遊びにアルコール、ギャンブルに派手な金遣い。

”最も愛され、最も憎まれた悲劇の王妃”

教科書では知ることがない、マリーアントワネットの孤独。

言葉で書いてしまえばそうなんだけれど。

これを2時間の映像にしてしまうと、なんとも陳腐というか。

「マリーアントワネットの人生ダイジェスト」という感じ。

なんだか、宮殿の中で貴族たちに見られている彼女と、信頼している(?)側近の人たちといる彼女と、

夫の前にいる彼女と、一人の彼女と。

一体どれが本当なんだ?とわからなくなる。

だから、いくら孤独を描きたかったと言われても、本当に彼女は孤独だったのかしら?と、ずっとどこに

注目していいのかわからずにラストまでいってしまう。

 

彼女の本質というか、歴史上で言われている彼女(といっても、私な彼女がとても浪費家で、フランス革命に

火をつけた人というくらいのことしかわからない。しかもそれは脚色してるのかどうかもわからない)よりも、

こっちが本当なのかもしれないと思わせるシーンはいくつかあって。

特に、プチ・トリアノンのシーンは、彼女は本当なこんな風に静かに暮らしたかったのかなぁと思った。

そうは思っても、もし本当に彼女が孤独だったというなら、かなりの人間不信かかなりの贅沢かだろう。

そういう印象しか持てなかった。

だって、あれだけ仲の良い友達がいて、あれだけ優しい夫がいて。あれだけすべてを手にしていて。

なぜ、孤独になるのか?なぜ、浮気をしたのか?じゃあなぜ、最期まで夫といたのか?友達を逃がしたのか?

私には矛盾にしか思えなかったし、どう受け取ればいいのかわからなかった。

 

 とはいえ、やっぱりソフィアの感性は好きだと思う。

最初に書いた映像の面でもそうだし、一つ一つの台詞でもそう。

”My place is King side." 

(本当にこう言ってるのかはわからない。サブタイトルでは「私は王の側にいます」でした。)

と言って、暴動を起こしている民衆に頭を下げるシーンはとても好き。

そして、宮殿から見る最後の朝日を見て、”I'm saying good bye." と言った彼女が、誕生パーティーの日に

見た朝日を思い出していたことは言うまでもなく。

ラストはとても良いと思いました。

なんというか、やっぱり「18世紀ヨーロッパ版”Lost in Translation”」という印象。

フランスで英語か、というハテナはあったけども。

「ローマの休日」もそうだったのかしら?吹き替えでしか観たことないからわからないけど。

 

 それにしても、最高にgirlyで、最高におしゃれがしたくなって、ちょっと切なくなる映画。


2007/01/27 23:48 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「ターミナル」

飛行機から降り、入国審査を受ける男性。

「あなたの国でクーデターが起き、あなたは無国籍になりました。」

言葉も通じない空港で、男はニューヨークに行くために待ち続ける。

彼が待ち続けたのは何か。

トム・ハンクス主演、スティーブン・スピルバーグ監督「ターミナル」。

映画館で観るはずが、なぜか釧路の実家で観ることになりました。

「最後の恋のはじめ方」を借りたかったのに、2回行っても貸し出し中だったので、「ターミナル」でもと。

観る気分ではなかったけど、観てよかった。

 

 トム・ハンクス演じるビクターが、入国審査を受けるシーンから始まるのだけど。

言葉もわからず、ただパスポートと入国許可証を出し、警備員に捕まる。

祖国でクーデターが起きたことも、無国籍になっていることも、帰ることも行くこともできずないことを

説明されても何もわからず、”yes”とだけ答える彼の不安がとてもわかって、胸が苦しくなる。

ニュースは「見る」ことはできても「聞く」ことができず、何が起こっているのかもわからず、

電話のかけ方もわからず、もらったクーポンも捨てられてしまい、守られない「アポ」を信じる彼が

やけにリアルで観たことを後悔してしまった。

だけど、彼はただ「待つ」。

約束を果たすために。

信じて、待つ。

 

ただ待つだけなら誰にでもできるかもしれない。

けれど、待つ間に彼が取った行動。

言葉も通じず、誰も助けてくれない、空港という監獄の中で、彼は生きる。

はじまって数分のシーンで、彼がベンチに寝そべってピーナッツの缶を大切そうに見つめる場面。

何が入っているのかはわからないけど、その仕草に感動した。

 

 話の内容としては、彼がニューヨークに行きたい理由etcが謎のまま話は展開するのだけど、

それがわかった時は「それだけ?」と思った。

とても暖かい理由だったのだけど、なんだかあっけない気がして。

でも、彼が空港にいる間に起こること、起こすことよりも、ビクターという人を描いた映画なのだと思った。

トム・ハンクスの演技はもちろん素晴らしくて、ちょっとした仕草にもビクターという人柄はこういう人なんだって

わかるのだけど、彼を取り巻く人々。

とりわけグプタ・エンリケ・マルロイの3人の、細かいキャラクター作りにびっくりする。

グプタは、頭のイカれたいじわるな人かと思っていたけど、なぜあんなにCIAに拘っていたのか、

わかった時にはもちろん納得したし、最後のシーンではあんなに拘っていたものを捨ててまでした彼に

とても感動した。

一番泣いたシーンだと思う。

エンリケはただのアホ男だと思っていたら、本当にイイ奴で、なぜトーレスがあんなに素直に受け入れたのか

納得がいく。

マルロイは最後まで、真面目で文句のつけようがない人なんだって、ディクソンの書類でもわかったし。

アメリアとの食事で、この3人のキャラクターがよく出ているなと、思わず笑えるシーンだった。

 

 最初のほうで、私は不安になって、もしかしたらこの映画はとても暗い話なんじゃないかと思って

観るのをやめてしまいたかったのだけど。

もちろん、イイところでいじわるなディクソンに邪魔されたり、「なんでよ?!」と思うところばかりだったけど、

やっぱり、トム・ハンクスの一人演技(と私は思っている。)では、どこか軽くて笑えるものがあって、

重い空気にならないのがすごいなと思った。

重い話は嫌いじゃないけど、今は正直あまり気分は良くならない。

例えば、仕事を探している時に、次々に断られ、最後のショップの店長からの電話で「いい加減にしてよ!」と

思ったけれど、それを笑いに変えられるところが、この話のいいところだと思う。

空港に閉じ込められ、出ることも帰ることもできず、食べ物は買えず、お風呂にすら入れない無国籍人間

という状況で、前向きにひたむきに、諦めず信じ続け、約束を果たすために待つことができるビクター。

私には「そんなこと?」な約束は、彼にとってはこの状況に立ち向かうくらいの力があったということ。

ピーナッツの缶を、大切そうに見つめるビクターで、それはわかるのだけどね。

 

 

 素敵な映画でした。

また観たいと思う。

今度は、違うものがきっと発見できるはず。


2006/10/13 01:34 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「イルマーレ」

2006年のはじめ

湖の上に浮かぶ家を後にするケイト。

家の前にあるポストに、次の住人に宛てた手紙を入れる。

周りに誰もいないはずのポストが音を立てる。

ポストを開けると、入れたはずの手紙がなくなっていた。

手紙は、2年前の2004年の湖に浮かぶ家のポストに届いていた。

 

 キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの「スピード」カップルが再共演した映画「イルマーレ」。

洋題では「the LAKE HOUSE」かな?

以前、韓国で話題になった映画「イルマーレ」のリメイク。

私は見に行った後に知ったのだけれど、もしかしたら韓国版の方が良いかもしれない。

 

だからと言って、ハリウッド版が良くないというわけではないです。

というのは、ポストを通じて2年という時間を越えて手紙をやり取りするという有り得ないお話

(ファンタジーと言えばいいかは私はわからないけれど)

そしてその二人が恋をするというベタな展開は、韓国の得意分野ではないかと思うから。

もっとも、ハリウッドの恋愛映画よりも韓国の恋愛映画が私が好きというのもあるのだけど。

「そんなベタな!」と思う展開を、韓国映画(ドラマ)はこれでもかというくらいにベタベタにしてくれるから。

それくらい、先が読めてありふれているお話。

 

 だけど私はこの映画がとても好き。

まず、湖の上の家がとても素敵。最初のシーンでケイトが見る湖の家がとても綺麗。

アレックス(キアヌ)のgirl frendが彼に放った台詞には笑ったけれど、とても素敵だと思う。

そして最初のデート。ケイト(サンドラ)が見つけるメッセージに私も思わず微笑んだ。

シカゴという街に行ってみたいと思ったし、この町でも素敵な建物を探しに行こうかと思った。

手紙だけを通してコミュニケーションを取る二人→恋に落ちる二人。

ありきたりなストーリーだけれど、アレックスがケイトの手紙を読んでする行動に、

ケイトの手紙に心を感じて、ケイトをとても大切に想っていることが見て取れて、

そんな細かいところに暖かさを感じました。

 

2004年でのキアヌの行動。

知っている彼と知らない彼女。

溜まっていく手紙。

自分が去る家を、いつか住むはずの彼女のために綺麗にする。

2年後の彼女のために残したメッセージ。

全部が切なくて、胸がキュンとする。

 

 アレックスと彼の父親とのエピソードはこれまたありきたりだけれど、父親が彼に話す言葉は

今の私にとって説得力のあるものでした。

親子っていうのは、どれだけ反発していても、どこか似てしまったり、どこか離れられずにいたり、

そういうものだと思っている私には、これまた「ありきたりな」親子なのだと思いました。

こんな親子だからこそ、兄と弟が仲良くバレンタインの話をしていられるのだと思うし。

 

 2004年と2006年、「そんなに変わらないわ」というケイトの台詞通り、2年という歳月は何かが起こらない限り

劇的な変化があるものではなくて。

同じ街、違う時間に、同じ場所にいる二人が交わす言葉。

どんな気分なんだろう。

2年前に彼が住んでいた場所に、現在の彼女が住む。

同じポストで手紙を交換しているのに、そこに相手はいない。

同じ時間にもお互いは存在しているわけだけれど、手紙でしかコミュニケーションがとれないわけだから、

お互いの「その時」がわかるわけではなく。

だから私は、ラストのシーンは「そうなればいい」と素直に思えた。

 

 ラストはファンタジーらしく(?)先が読める展開。

今にして思えば、韓国お得意の「すれ違い」だったのかとも思うのだけれど。

このラスト、評判は悪そうだなぁとちょろちょろ見て思ったけれど、私は好きなラストでした。

でなければ、二人が2年の時間を隔てていた意味がないと思うから。

ちなみに私は、随分と前から泣いていました。

一緒に観に行った先輩に、「泣きすぎだから」と笑われました。

展開がわかるからこそ涙が先に出てきて。

美しい建物や美しい湖の上の家。

ラブストーリーには欠かせない要素。

ラブストーリーは、凝った演出よりも「ありふれた展開」「ベタベタな展開」の方が重要だと思う私は

「可もなく」「不可もなく」この映画が好きだと思いました。

韓国版も借りてこようかと思います。


2006/10/07 23:49 | Comments(0) | TrackBack() | 映画

| HOME |
忍者ブログ[PR]