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2024/09/19 04:02 |
「灰色のピーターパン 池袋ウエストゲートパークIV」  石田衣良

IWGPシリーズ6弾。
ドラマから小説を読んで、石田衣良にハマった作品の6作目。
池袋を舞台に、マコトが事件解決するっていうお決まりのパターン。


 ここ数年、石田衣良の作品は、なんだかワンパターンというか。
特にIWGPは、最初から先が読めるようになっていて、ただその事件の解決の方法がどうだっていうくらい。
シリーズ最初の方は、読めば読むほどハマっていって、早く先が知りたくてたまんなかったけれど。
電子の星あたりからかな?
Gボーイズとサルを動員して解決、みたいなのがパターン化してきて、なんだかマコトもネタ尽きたか、という感じで。
細かいエピソードもなくなってきたし、ドキドキしながらも感動できるとことかあって。
それがスキだったんだけれど、やっぱりそれがなくなってきたなぁ。


と、言いつつも、「Gボーイズ冬戦争」を読む私。

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2007/06/17 22:31 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
「夜のピクニック」    恩田陸

年に一度の学校行事「歩行祭」

1・2年生には今年最後の。

3年生には高校生活最後の一大行事。

甲田貴子は賭けに出る。

 

この夏、映画化もされた恩田陸の「夜のピクニック」。

一日中歩き続けるというおかしな行事。

その不思議な一日という時間の中で、生徒たちはさまざまなことを悟る。

 

このお話、私は映画では見ない。

やっぱり恩田陸の世界は、場面ごとに変わる登場人物たちの思考の流れがおもしろいと思うから。

これを映像で見てしまったら、ただの青春映画になってしまうと思うから。

思考がどんどん変わるたび、同じ時間を繰り返すわけだけど、その変化がすごく自然で、

あっちいったりこっちいったり、一体今はどこの話をしているの?!

っていうことがなく、軽快に読み進められる。

 

私も歩行祭に参加したかったなぁと思った。

高校時代の私は、ほとんど学校に参加していなかったから、もし本当に歩行祭があったら行きたくないと

仮病を使ったかもしれないけど、こんな楽しいメンバーがいたら、きっといつまでも思い出に残るんだと思う。

一生に一度の瞬間。

生きてく上で何度あるのだろうと、登場人物の一人は思うのだけど、それがすぐに去っていくことも

いつかは思い出さなくなるであろうことも知っていて、それでもその一瞬は、いつまでも覚えていたいと思うの

だろう。

 

なんだか、いろいろなことを考えすぎて、何を書けばいいのかわからない。

とにかく、読んだあとはすっきりするし、ラストもやっぱりよかった。

私も誰かの隣を並んで歩きたい、と思いました。


2006/11/05 19:59 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
「おいしいコーヒーのいれ方X  夢のあとさき」  村山由佳

村山由佳の「おいコー」シリーズ10冊目。

このシリーズ、最初の方はすごく好きで文庫も集めていたけど、途中で集めるのをやめた。

だんだん、勝利だけの心理描写が多くなってきて、話が一辺倒になってきた気がしたから。

それでも読み続けてるのは、シリーズものだから。

 

 

私は、勝利のかれんを想う気持ちがやけにリアリティーに欠けていて、正直読んでてイライラする。

本当に、男の人が恋をしたらこんな気持ちになることがあるのか?と思う。

もしも、勝利の気持ちがわかる男の人がいたら、ぜひとも話を聞かせてもらいたい。

 

「夢のあとさき」では、かれんが働き出して二人が遠恋する話。

なんだか、読んでて悔しかった。

悔しくて悔しくて、何かに当たってしまいたかった。

今の私の、心の奥底の欲しいものが全部露呈してしまった。

 

例えば何かに躓いたとき、大事な人に側にいてほしくなる。

声を聞きたくなる。

だけど、話し出したら愚痴になるのがわかっていて、マイナスな空気を相手に与えたくないから距離を取る。

そうやって、頑張って頑張って結局倒れちゃったときに、駆けつけて手を握ってくれる人がいるっていうこと、

今の私にはどんなに望んでも手に入らないものだ。

 

夢でいいから会いたい。

夢なら覚めないで。

たった2時間で会いにいけるなら、会いにいっていいなら、行けばいいのに。

相手の気持ちがなければ、何をやってもいいの?

責めれる権利が、あなたにはあるじゃない。

心の底から、汚い感情ばかりが湧き上がってくる。

悔しすぎて、涙が出てくる。

 

夢から覚めても冷めない現実がある幸せ。

私が唯一欲しいもの。

 

ただただ、悔しい。


2006/10/18 23:42 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
「いま、会いにゆきます」     市川 拓司

―私はもうすぐここからいなくなってしまうけれど、また雨の季節になったら、二人がどんなふうに暮らしているのか、きっと確かめに戻ってくるから。―

一年前に死んだ妻が残した言葉。

夫・巧と息子・佑司は、妻・澪が残した不思議な言葉を思い出しながら雨の季節を迎える。

 

 

 映画化・ドラマ化された「いま、会いにゆきます」の原作。

私は映画館で映画を観て、予約してDVDを買った(限定版)。

書籍を映像化するのはあまり好まない。

このお話は、先に映画を観てよかったと思う。(ドラマは一話だけ見て見るのをやめた。)

 

映画が上映される前、澪役の竹内結子がインタビューでこんな風なことを答えていた。

”脚本を読んで、「いま、会いにゆきます」というタイトルの意味がわかった時に涙が出てきました。”

私も、このタイトルの意味がわかった時、顔があげれなくなりました。(その前から泣いてはいたけど。)

 

 そして、DVDを買って一年後。

行く予定のなかった青森市の図書館で、私はこの本に出会うわけです。

海が見える空に近い広い図書館の中で、半分くらい、このお話を読みました。

巧が、佑司のために、そして忘れないために書いた小説。(という設定)。

言葉たちはとても優しく、流れる空気はとても暖かい。

”幸福なだけではないけれど”、誰かを愛することはとても幸せなことなんだ。

それは人それぞれで、どこかで秘めた想いを隠していて、それでも笑っていて。

「わたしはあなたを幸せにできていた?」「幸せだったよ」

それを確認するために、もう一度「出会い」と「別れ」を繰り返す。

 

映画とは違って、時間の流れがとてもゆっくりに感じました。

もちろん、2時間の映画よりも中身が濃いのは当たり前なのだけど。

巧と澪、巧と佑司、佑司と澪。巧と澪と佑司。

3人の関係性がとても複雑で、ただ「愛してる」だけではなくて。

こんなに深く家族を想うことができるのは、とても幸福であってとても苦しいことなんだと。

自分で選んだ人生。

この人生しかないと決めた。

だけど本当にそれでみんな幸せだった?

簡単に聞けそうで聞くのがとても怖い質問。

だけれど、言葉にしなければ伝わらない・わからない気持ちは絶対にある。

 

 小説の中の、「たっくん」と「佑司」の会話。

とても暖かくて、私もいつか子供ができたら、こんなお話をしてあげたいと思います。

二人の一つ一つのエピソードは微笑ましいし苦しくもなる。

こんなに必死で親密な関係を誰かと築きたくなる。

どちらが保護者かわからないけれど、たくさんの不具合を抱える父親を、煙たがらずに思いやる息子。

それだけでも胸が苦しくなる。

 

 ”幸せなだけではないけれど”、幸せなエピソードを大切にできることは幸せで。

だけれど、大切な人を大切にするのは難しい。

相手はそれで本当に幸せ?

そんな問いかけはきっとなくならない。

「愛があれば他に何もいらない」ようなお話だけど、本当にそれだけ愛せる人たちが現れたら

きっとそんな人生を選んでしまんだろうな。


2006/10/08 22:21 | Comments(1) | TrackBack() | 小説
「ムーンライト・シャドウ」   よしもとばなな

 この小説は、よしもとばななの作品の中で、一番好きかもしれない。

 

 私がいつこのお話に初めて出会ったのか、正直定かではない。

覚えているのは、高校の現代文の問題集に、問題として掲載されていたのを読んで、どうしても続きを読みたいと思ったこと。

その後、図書館や本屋で探してみても、この表題を見つけることはできなかった。

 

この本に再び出会ったのは、去年の冬だったと思う。

図書館で、また検索をかけて、やっと見つけた!とすごく喜んだ。

だけど読み進めていくうち、私はこのお話を以前に最後まで読んだことがあることを思い出した。

が、それがいつ、どこでなのかは覚えていない。どうしても思い出せない。

「キッチン」に収録されていたということだから、きっと「キッチン」を読んだ高校生の時のはずで、「キッチン」を読んだ時のことは思い出せるのに、「ムーンライト・シャドウ」を読んだことを思い出せないということは、その時の私はまったくこの作品に思い入れがなかったということになる。

こんなに好きになるとは、その頃の私は思いもよらなかったのだろう。

 

 よしもとばななの作品は、どれもとても不思議な空気がある。

とても不思議な空気が。

よしもとばななの「白河夜船」という小説。この作品もまた、私には深い思い入れがあって、「ムーンライト・シャドウ」と同じくらいに好きだが、それはまたいつか読んだ時に書くとして。

どうしてこんなに、私を不思議な世界へ連れていってくれるのか、文章ひとつでこんなに世界がゆがんで見えるのか、よしもとばななは魔法使いなのかと思う。

 「ムーンライト・シャドウ」は、主人公の女の子(女性、と言ったほうが適切かもしれない)が、大切な人を失った苦しみを、ただ淡々と語っている。

ただ、淡々と。

私にはそう思えた。

ただ淡々と、主観的に。

過去を追い求めているわけではなくて、失われたはずの大切な人との未来を見つめて。

それがとても悲しい。

彼女が語る言葉たちは、大切な人を亡くして悲しんでいる言葉のはずなのに、なぜかそれがただの言葉にしか見えなくて、だけどそれがかえって悲しい。

本当の思いを、言葉にするとやけに薄っぺらいものになってしまって、言葉と思いの温度差がとても大きくなってしまうように。

小説のはずなのに、本当に大切な人を失ってしまった人の言葉のように響いてしまって、私の頭は真っ白になってしまう。

それがとても悲しくて、だれかこの人たちを助けてあげて!と言いたくなる。

何度読んでも。どこで読んでも。

 

 声に出して読みたくなる小説。

そんなお話には、そんなに出会ったことはないけど、声に出して読みたくなる言葉たちだ。

もう、このお話は何度も読んでいるけど、いつも思ったことをうまく言葉にできない。

言葉にすると、「コレも違う、アレも違う」と思って、余計に思いから遠く離れてしまう。

けれど、言葉に反して心はとても一杯になる。

何度も出会いたくなる。

どうしてもこのお話を読みたくなる夜が来る。

短いお話。いつも一気に読む。

ゆっくりと、時間をかけずに。

私はまたいつか、このお話を読みたくなる。

 

そんなお話。


2006/08/16 23:08 | Comments(4) | TrackBack() | 小説

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