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2024/09/19 04:08 |
「灰色のピーターパン 池袋ウエストゲートパークIV」  石田衣良

IWGPシリーズ6弾。
ドラマから小説を読んで、石田衣良にハマった作品の6作目。
池袋を舞台に、マコトが事件解決するっていうお決まりのパターン。


 ここ数年、石田衣良の作品は、なんだかワンパターンというか。
特にIWGPは、最初から先が読めるようになっていて、ただその事件の解決の方法がどうだっていうくらい。
シリーズ最初の方は、読めば読むほどハマっていって、早く先が知りたくてたまんなかったけれど。
電子の星あたりからかな?
Gボーイズとサルを動員して解決、みたいなのがパターン化してきて、なんだかマコトもネタ尽きたか、という感じで。
細かいエピソードもなくなってきたし、ドキドキしながらも感動できるとことかあって。
それがスキだったんだけれど、やっぱりそれがなくなってきたなぁ。


と、言いつつも、「Gボーイズ冬戦争」を読む私。

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2007/06/17 22:31 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
「僕らの音楽 鬼束ちひろ」
久しぶりに鬼束の歌声を聴いた。
泣きたくなった。


活動休止していた間、彼女は歌も歌わず、作らず、ひたすら引きこもっていたと言っていた。
歌うことで救われていた彼女が。


私が鬼束を好きだったのは、彼女の歌声がどこか悲鳴を帯びているように聞こえたから。
私の心に、突き刺さってきたから。
いつも、彼女が歌っているのを見ると泣きたくなった。
胸が苦しくなった。

トーク番組や、インタビューを見ても、彼女はいつも自分を隠さず出しているようだった。
「気持ちを言葉にする」ことが、とても好きなように見えた。


その彼女が、どこにも居なかった。

一足一足、ひどく怯えたように歩き、話す声は頼りなく、泣き出しそうな声で歌う。
あれだけ感情を声に乗せていた彼女が、どこにもいなかった。
一体、彼女に何があったんだろう。
苦しめていたのは、私たちなんだろうか。


彼女の声が聴けるようになって、私はやっぱり嬉しいんだけれど。
彼女の音楽が、私の心に突き刺さるのは変わりないから。

彼女が何を想って歌っているのか。
私には想像もできないけれど。
今まで外に向かっていた歌声が、彼女の内に向かっていることだけは確かで。
外に向けて吐き出していた感情を、彼女は心の中に溜め込んで、言い聞かせているのだろうか。
どこかに向かっている歌声が、再び私たちに向けられる日は来るのだろうか。
何も写さない瞳が、再び炎に揺れることを。


祈るように歌う彼女が、どうか苦しんでいないことを願いながら。
私は、彼女の軌跡を追う。

2007/06/17 22:02 | Comments(0) | TrackBack() | テレビ
スパイダーマン3

一言で言わせてください。

とにかく、苦しくて見たのを後悔した。




 クライマックスは、普通のヒーロー物って感じで大丈夫だったのだけれど。
最初の30分くらいは、だからなんでわざわざこんな悲しい話にしなきゃならないんだって思った。

 スパイダーマン1から話はずっと続いているんだけれど、3では今まで絡まっていた糸が
ほどけたって感じかな。
私がスパイダーマン面白いなぁって思ったのは、悪人がいて、それをヒーローであるスパイダーマンが
倒してハッピーエンドっていう単純なものではなくて、そこにたくさんの欲望や葛藤や誤解や苦労や
人間味に溢れたものがいっぱいあって、そういうところがスキだったのだけれど。
なんだかもう、そこまで救いようがない話にしなくていいじゃんって、開始30分で思ったよ。

きっと私が言うほどではないんだろうけど。
私はとにかく嫌なの、苦しくなるのは。
守りたい者のために悪になるとか。
叶えられない願いのために歪んでゆくとか。
消し去れない後悔のために苦しむとか。
どうしても抗えない地位に押しつぶされるとか。
そういう、目を背けたいものがありすぎて、実際目を背けてしまった場面がいくつか。


 映像はすばらしかった。
CGはもちろんだけれど、すごくカメラワークのテンポが良くて飽きない。
私はハリーが大好きで、1からずっと大好きで、病院で目が覚めたときのあの笑顔に胸キュン。
だから復讐に燃えている時も、スパイダーマンよりもハリーに肩入れ。
格好も何もかもがかっこいい。

それに比べ、ピーターは1からそんなにスキではない。
特に3では、復讐心に負けるところや黒くなって調子乗るところとか、もーダメじゃん!とか思う。
人には必ずそういうところはあるんだけれど、だからこそ見たくないというか。
たまには負けてみたら、と。



 そして、私は感情移入をしすぎる。
その時々の自分の精神状態で、感情入れるところが変わってしまう。
きっと今の私は、人の醜い部分や尊い部分を見たくないんだと。
こうやって感想文を残すのも、見た時に感じることはきっと違うから、それを残しておきたくて。
とにかく今の私は、汚い自分から逃げたいんだということ。
「かっこいい自分」を脱ぎ捨てて、真のヒーローに。
なるのは意外に難しいということ。
ピーターはかっこ悪くても真のヒーローなのよ。


2007/05/18 22:28 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「硫黄島からの手紙」

クリント・イーストウッド監督

61年前の第二次世界大戦。硫黄島でのアメリカ軍と日本軍の戦闘を、アメリカと日本の両方から描いた

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の二部作のうち、日本の視点で描いた「硫黄島からの手紙」を

見てきました。

 

この映画は、感動するものではありませんでした。少なくとも私には。

ただ一言、「むごい」としか言い様がありません。

あまりのむごさに、私は涙が止まりませんでした。

 

 

 私はあまり戦争映画は見ません。

フィクションであってもノンフィクションであっても、怖くて恐ろしくて、夢にまで見るからです。

その時代を生きた人がどんなに無念な感情を抱いていたのか、私の小さな心では計りきれるわけがなく、

それを思うと心が壊れそうになります。

感情ではなく実際に。

どうしても映画館でこの映画を見たかったのは、なぜだかわかりませんが、なぜだか見に行かなければ

ならないような気がしていました。

 

最初に、これがアメリカ映画だというのが不思議なくらいに、知らなければ日本人が作った映画だと思った

でしょう。

アメリカ映画の戦争ものというのは、私からすると「アメリカ人が正しくて、日本人はただ弱くてバカなだけ」

というイメージでした。

最初の数シーンで、そのイメージが翻りました。

そして、監督に感謝と尊敬の気持ちを持ちました。

私は硫黄島の戦闘を知らず、学校で習う戦争以外の知識はほとんどないことを、恥じなければなりません。

正直、戦争の話を聞くことも、戦争のテレビ番組を見ることも、戦争の跡形を知ること事態が

恐ろしくて苦しくて仕方がありません。

戦争を知らない私や、私よりも若い世代にとっては、戦争は紙や画面の上でしか知ることができない

出来事です。

私はよく、兵士として戦争に行った家族を持つ知り合いと第二次大戦の話をしていました。

実際に戦争に行った人の話、これからの話。

紙や画面の中でしか知ることができなくても、私は戦争がとても嫌でした。

勝ち負けや正義や名誉。どんな名目をかざしても、そこには悲惨な結果しか残らないと思うから。

多くの日本人が思うことだと思います。

「敗戦国だから間違っていた」のではなく、多くの戦死した兵士たちは心から「お国のために」喜んで

死んでいったわけではないと。

戦いたくは無かった。死にたくは無かった。

だけれど、「死ぬ」か「生きるか」の選択肢すら彼らは持っていなかった。

それを、アメリカ人の監督は映画を通して世界に伝えてくれた。

どんな理由にしても、戦争には反対だと思っている私には、とても良い映画を作ってくれたと思いました。

 

 

 戦争映画と一言に言っても、硫黄島での戦闘がどのように繰り広げられたかという映画ではないと思います。

硫黄島での戦闘を通じて、そこにいた人々がどのように生きていったか、死んでいったか、

何を思っていたか、どんな変化があったか。

そんなことが伝わってきます。

まだアメリカ軍が攻めてきていない時、兵士たちには文句を言う余裕があり、中でもあまりに自我がはっきり

している西郷(二宮和也)にははらはらさせられる。

そんな西郷にも、胸が締め付けられるような感情があり、当時の徴兵制度がどれほど冷酷なことだったか

痛感してしまう。

兵士には逆らえない。上官には逆らえない。従わないと生きていけない。

守りたい者のために必死だった。守りたい者のために戦った。守りたい者のために死んでいった。

自分が生きるために、大切な人を守るために。

栗林中将(渡辺謙)が反発する上官たちに向かって言う。

「本土にいる子供たちが一日でも長く安泰して生きられるなら、我々がこの島を守る一日には

意味があるんです」

兵士に向かって言う。

「決して死ぬな」

バロン西が言う。

「自分が正義と思うことを貫け」

 

最初の空爆シーンで、予告もなく予感もなく死ぬということがどういうことなのだろうと考えました。

そして、彼らにとって、一日という時間はとても凝縮された時間だったのだと知りました。

一日が終わる。一日が始まる。

「明日」がなかった彼らにとって、一日を終え、どんなに悲惨なことが起こるかわからない一日を始めることは

どんなに恐ろしかっただろうと思う。

現代に生きる私を含めた多くの人々にとっては、明けない日はなく、昇らない太陽はなく、どんなに絶望して

いても未来はある。

彼らには、明日すらなかった。次の一秒すらなかった。

限りない未来がある私たちから、明日がなくなる戦争をどうやって想像できる?

どうやって、彼らの心を想像すればいいんだろう?

そう思うと涙が止まらなくなりました。

 

生きるために、名誉を捨て白旗を揚げた若者を、無残に殺す敵兵。

きっと、そんなことはざらにあって。

何もかもがおかしくなって。

伊藤中尉(中村獅童)が、軍人としての誇りを持って栗林中将に反発し、一人になり闘いからはずれ

無になったときに何を思ったのか。

人としての本能を取り戻したんだと思いました。

映画が終わったあと、私の後ろに座っていた女性二人がこんな話をして笑っていました。

「無駄な死に方はしたくないって言った人が一番無駄な死に方してるじゃんね」

軍人としての義務を貫こうとしたけれど、人の心を捨てられなかった清水(加瀬亮)の死に方が

無駄だったとは私は思えない。

彼は精一杯生きようとした。名誉も捨て、生きようとした。大切な人のために。

どんな死に方でも、戦士した兵士たちに、無駄な死はなかった。

「我々の死は後世で讃えられるはずだ」と言った栗林中将の言葉は真実だ。

 

 

 今も世界のどこかで戦っている兵士たちがいる。

生きて帰ることを祈っている家族たちがいる。

なんのための戦争か、なんのために戦うのか。

たとえそこから富や名声や平和が生まれても、人一人の命を奪う価値すらあるとは思えない。

「硫黄島からの手紙」からは、なんのすがすがしさも、なんの感動もありませんでした。

人の心を奪うことのむごさ。

彼らのおかげで私たちがいること。

彼らに感謝し、彼らが言えなかった「生きて帰りたい」を、

現代に生きて未然に防げる私たちは言わなければいけないんだと思います。

どうか、争いなど起こらないように。

多くの人たちの悲しみも憎しみも、すべてが消えてなくなる日が来るように。

祈らなければいられないような映画でした。


2007/02/12 03:03 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「マリーアントワネット」

中世ヨーロッパ。オーストリア皇女から、フランス王室との政略結婚でフランス王妃となった

マリーアントワネットを描いたソフィア・コッポラ監督3作目。

 とにかくきらびやか!!

私は単にこの映像が見たいがために映画館まで足を運びました。

ソフィアの最新作というのもあったし、キルスティン・ダンストが主演っていうのもあって。

前評判はあまり良くなかったので、中身はあまり期待はしてなかった。

 

 私はあまり勉強が好きではなかったし、歴史には興味があっても、何がなんだかわからなくなるので、

マリーアントワネットに対する知識というものはほとんどなく見ました。

一応、大学でフランス革命とか、その前後の授業は受けたはずなんだけれど。

おもしろいと思っても、やっぱり覚えてないのね。というかわかってなかったわけで。

だから、歴史ファンとか、マリーアントワネットファンとかが、この映画に興味持って観に行ったとしても、

私の感想とはかなりかけ離れると思います。

だって、私は正直、歴史的背景をほとんど知らないから、「それは歴史的には間違ってる」とか

私はわからない。

ということで、このことを前提に読んでいただけると嬉しいです。

 

 まず、イントロで「お?」と思う。

あー、やっぱりソフィアなんだなぁ、みたいな。

「マリーアントワネット」なんてタイトルだし、この映画の記事とか読んでも「悲劇の王妃の孤独を描いた」とか

書いてあるし、やっぱり歴史モノだよなぁと思ってた私は、そのイントロがあまりに現代的すぎて、

「やっぱりソフィアだなぁ」と思ってしまった。

そして、最後まで見た感想も、「やっぱりソフィアだなぁ」と思ってしまった。

 

まず、映像がとても素敵!

男の人は何も面白みがないと思うだろうけど、女の子が見たら誰でも目がキラキラすると思う。

お菓子や服や髪型やドレス。それに靴!

どれもがキラキラしていて、色鮮やかで、おしゃれをしたくなる。

それらを身に纏ったキルスティンが舞踏会やオペラで華やかに動く。

とってもgirlyで、とっても綺麗。

それに、実際のベルサイユ宮殿で撮影されたっていう豪華な舞台。

視覚は何もかもが素晴らしい。

 

 何も知識がない私にとっては、18世紀のフランス貴族たちはこんな生活をしていたのか?と思った。

夜遊び・二日酔い・ギャンブル・下ネタ・浮気・・・。

そら楽しい人生だわ!ってくらい、贅沢気ままな生活をしてたんだなぁと。

王妃って暇なのね、と。子供を産むだけが王妃の仕事なのか、と。

映画は、マリーアントワネットがフランスに嫁ぐところから始まるんだけれど。

政略結婚は仕方が無いし、ならば幸せを見つけようとするマリーアントワネットの純粋さや前向きさに

幼さを見るんだけど。

そんなマリーアントワネットが、フランス王室に入って、旦那には相手にしてもらえず、子供ができないのは

まるで自分のせいだと言われ、義弟夫婦に先に子供ができてしまう。

政略結婚でも希望を持って嫁いできたのに、そんな仕打ちをされたら、そら遊んで発散しようと思うわな。

夜遊びにアルコール、ギャンブルに派手な金遣い。

”最も愛され、最も憎まれた悲劇の王妃”

教科書では知ることがない、マリーアントワネットの孤独。

言葉で書いてしまえばそうなんだけれど。

これを2時間の映像にしてしまうと、なんとも陳腐というか。

「マリーアントワネットの人生ダイジェスト」という感じ。

なんだか、宮殿の中で貴族たちに見られている彼女と、信頼している(?)側近の人たちといる彼女と、

夫の前にいる彼女と、一人の彼女と。

一体どれが本当なんだ?とわからなくなる。

だから、いくら孤独を描きたかったと言われても、本当に彼女は孤独だったのかしら?と、ずっとどこに

注目していいのかわからずにラストまでいってしまう。

 

彼女の本質というか、歴史上で言われている彼女(といっても、私な彼女がとても浪費家で、フランス革命に

火をつけた人というくらいのことしかわからない。しかもそれは脚色してるのかどうかもわからない)よりも、

こっちが本当なのかもしれないと思わせるシーンはいくつかあって。

特に、プチ・トリアノンのシーンは、彼女は本当なこんな風に静かに暮らしたかったのかなぁと思った。

そうは思っても、もし本当に彼女が孤独だったというなら、かなりの人間不信かかなりの贅沢かだろう。

そういう印象しか持てなかった。

だって、あれだけ仲の良い友達がいて、あれだけ優しい夫がいて。あれだけすべてを手にしていて。

なぜ、孤独になるのか?なぜ、浮気をしたのか?じゃあなぜ、最期まで夫といたのか?友達を逃がしたのか?

私には矛盾にしか思えなかったし、どう受け取ればいいのかわからなかった。

 

 とはいえ、やっぱりソフィアの感性は好きだと思う。

最初に書いた映像の面でもそうだし、一つ一つの台詞でもそう。

”My place is King side." 

(本当にこう言ってるのかはわからない。サブタイトルでは「私は王の側にいます」でした。)

と言って、暴動を起こしている民衆に頭を下げるシーンはとても好き。

そして、宮殿から見る最後の朝日を見て、”I'm saying good bye." と言った彼女が、誕生パーティーの日に

見た朝日を思い出していたことは言うまでもなく。

ラストはとても良いと思いました。

なんというか、やっぱり「18世紀ヨーロッパ版”Lost in Translation”」という印象。

フランスで英語か、というハテナはあったけども。

「ローマの休日」もそうだったのかしら?吹き替えでしか観たことないからわからないけど。

 

 それにしても、最高にgirlyで、最高におしゃれがしたくなって、ちょっと切なくなる映画。


2007/01/27 23:48 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「夜のピクニック」    恩田陸

年に一度の学校行事「歩行祭」

1・2年生には今年最後の。

3年生には高校生活最後の一大行事。

甲田貴子は賭けに出る。

 

この夏、映画化もされた恩田陸の「夜のピクニック」。

一日中歩き続けるというおかしな行事。

その不思議な一日という時間の中で、生徒たちはさまざまなことを悟る。

 

このお話、私は映画では見ない。

やっぱり恩田陸の世界は、場面ごとに変わる登場人物たちの思考の流れがおもしろいと思うから。

これを映像で見てしまったら、ただの青春映画になってしまうと思うから。

思考がどんどん変わるたび、同じ時間を繰り返すわけだけど、その変化がすごく自然で、

あっちいったりこっちいったり、一体今はどこの話をしているの?!

っていうことがなく、軽快に読み進められる。

 

私も歩行祭に参加したかったなぁと思った。

高校時代の私は、ほとんど学校に参加していなかったから、もし本当に歩行祭があったら行きたくないと

仮病を使ったかもしれないけど、こんな楽しいメンバーがいたら、きっといつまでも思い出に残るんだと思う。

一生に一度の瞬間。

生きてく上で何度あるのだろうと、登場人物の一人は思うのだけど、それがすぐに去っていくことも

いつかは思い出さなくなるであろうことも知っていて、それでもその一瞬は、いつまでも覚えていたいと思うの

だろう。

 

なんだか、いろいろなことを考えすぎて、何を書けばいいのかわからない。

とにかく、読んだあとはすっきりするし、ラストもやっぱりよかった。

私も誰かの隣を並んで歩きたい、と思いました。


2006/11/05 19:59 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
久本春雄展

久本春雄展に行ってきました。

行ったのは、上司にチケットをいただいて、なんとなくふらっと。

素敵な絵でした。

あったかい。

 

中でも、赤系の色使いがとても綺麗。

植物の絵が好きでした。

私は言葉が拙いから、文字がないものを表現するのがとても苦手。

とにかく、優しい絵でした。

淋しい目をしている子供や動物がすごく気になったけど。

彼の目には、こんな風に世界は写っているのかと、とても暖かい気持ちになれました。

 

素敵な休日をありがとう。


2006/11/05 19:47 | Comments(0) | TrackBack() | 絵画
「おいしいコーヒーのいれ方X  夢のあとさき」  村山由佳

村山由佳の「おいコー」シリーズ10冊目。

このシリーズ、最初の方はすごく好きで文庫も集めていたけど、途中で集めるのをやめた。

だんだん、勝利だけの心理描写が多くなってきて、話が一辺倒になってきた気がしたから。

それでも読み続けてるのは、シリーズものだから。

 

 

私は、勝利のかれんを想う気持ちがやけにリアリティーに欠けていて、正直読んでてイライラする。

本当に、男の人が恋をしたらこんな気持ちになることがあるのか?と思う。

もしも、勝利の気持ちがわかる男の人がいたら、ぜひとも話を聞かせてもらいたい。

 

「夢のあとさき」では、かれんが働き出して二人が遠恋する話。

なんだか、読んでて悔しかった。

悔しくて悔しくて、何かに当たってしまいたかった。

今の私の、心の奥底の欲しいものが全部露呈してしまった。

 

例えば何かに躓いたとき、大事な人に側にいてほしくなる。

声を聞きたくなる。

だけど、話し出したら愚痴になるのがわかっていて、マイナスな空気を相手に与えたくないから距離を取る。

そうやって、頑張って頑張って結局倒れちゃったときに、駆けつけて手を握ってくれる人がいるっていうこと、

今の私にはどんなに望んでも手に入らないものだ。

 

夢でいいから会いたい。

夢なら覚めないで。

たった2時間で会いにいけるなら、会いにいっていいなら、行けばいいのに。

相手の気持ちがなければ、何をやってもいいの?

責めれる権利が、あなたにはあるじゃない。

心の底から、汚い感情ばかりが湧き上がってくる。

悔しすぎて、涙が出てくる。

 

夢から覚めても冷めない現実がある幸せ。

私が唯一欲しいもの。

 

ただただ、悔しい。


2006/10/18 23:42 | Comments(0) | TrackBack() | 小説
「ターミナル」

飛行機から降り、入国審査を受ける男性。

「あなたの国でクーデターが起き、あなたは無国籍になりました。」

言葉も通じない空港で、男はニューヨークに行くために待ち続ける。

彼が待ち続けたのは何か。

トム・ハンクス主演、スティーブン・スピルバーグ監督「ターミナル」。

映画館で観るはずが、なぜか釧路の実家で観ることになりました。

「最後の恋のはじめ方」を借りたかったのに、2回行っても貸し出し中だったので、「ターミナル」でもと。

観る気分ではなかったけど、観てよかった。

 

 トム・ハンクス演じるビクターが、入国審査を受けるシーンから始まるのだけど。

言葉もわからず、ただパスポートと入国許可証を出し、警備員に捕まる。

祖国でクーデターが起きたことも、無国籍になっていることも、帰ることも行くこともできずないことを

説明されても何もわからず、”yes”とだけ答える彼の不安がとてもわかって、胸が苦しくなる。

ニュースは「見る」ことはできても「聞く」ことができず、何が起こっているのかもわからず、

電話のかけ方もわからず、もらったクーポンも捨てられてしまい、守られない「アポ」を信じる彼が

やけにリアルで観たことを後悔してしまった。

だけど、彼はただ「待つ」。

約束を果たすために。

信じて、待つ。

 

ただ待つだけなら誰にでもできるかもしれない。

けれど、待つ間に彼が取った行動。

言葉も通じず、誰も助けてくれない、空港という監獄の中で、彼は生きる。

はじまって数分のシーンで、彼がベンチに寝そべってピーナッツの缶を大切そうに見つめる場面。

何が入っているのかはわからないけど、その仕草に感動した。

 

 話の内容としては、彼がニューヨークに行きたい理由etcが謎のまま話は展開するのだけど、

それがわかった時は「それだけ?」と思った。

とても暖かい理由だったのだけど、なんだかあっけない気がして。

でも、彼が空港にいる間に起こること、起こすことよりも、ビクターという人を描いた映画なのだと思った。

トム・ハンクスの演技はもちろん素晴らしくて、ちょっとした仕草にもビクターという人柄はこういう人なんだって

わかるのだけど、彼を取り巻く人々。

とりわけグプタ・エンリケ・マルロイの3人の、細かいキャラクター作りにびっくりする。

グプタは、頭のイカれたいじわるな人かと思っていたけど、なぜあんなにCIAに拘っていたのか、

わかった時にはもちろん納得したし、最後のシーンではあんなに拘っていたものを捨ててまでした彼に

とても感動した。

一番泣いたシーンだと思う。

エンリケはただのアホ男だと思っていたら、本当にイイ奴で、なぜトーレスがあんなに素直に受け入れたのか

納得がいく。

マルロイは最後まで、真面目で文句のつけようがない人なんだって、ディクソンの書類でもわかったし。

アメリアとの食事で、この3人のキャラクターがよく出ているなと、思わず笑えるシーンだった。

 

 最初のほうで、私は不安になって、もしかしたらこの映画はとても暗い話なんじゃないかと思って

観るのをやめてしまいたかったのだけど。

もちろん、イイところでいじわるなディクソンに邪魔されたり、「なんでよ?!」と思うところばかりだったけど、

やっぱり、トム・ハンクスの一人演技(と私は思っている。)では、どこか軽くて笑えるものがあって、

重い空気にならないのがすごいなと思った。

重い話は嫌いじゃないけど、今は正直あまり気分は良くならない。

例えば、仕事を探している時に、次々に断られ、最後のショップの店長からの電話で「いい加減にしてよ!」と

思ったけれど、それを笑いに変えられるところが、この話のいいところだと思う。

空港に閉じ込められ、出ることも帰ることもできず、食べ物は買えず、お風呂にすら入れない無国籍人間

という状況で、前向きにひたむきに、諦めず信じ続け、約束を果たすために待つことができるビクター。

私には「そんなこと?」な約束は、彼にとってはこの状況に立ち向かうくらいの力があったということ。

ピーナッツの缶を、大切そうに見つめるビクターで、それはわかるのだけどね。

 

 

 素敵な映画でした。

また観たいと思う。

今度は、違うものがきっと発見できるはず。


2006/10/13 01:34 | Comments(0) | TrackBack() | 映画
「いま、会いにゆきます」     市川 拓司

―私はもうすぐここからいなくなってしまうけれど、また雨の季節になったら、二人がどんなふうに暮らしているのか、きっと確かめに戻ってくるから。―

一年前に死んだ妻が残した言葉。

夫・巧と息子・佑司は、妻・澪が残した不思議な言葉を思い出しながら雨の季節を迎える。

 

 

 映画化・ドラマ化された「いま、会いにゆきます」の原作。

私は映画館で映画を観て、予約してDVDを買った(限定版)。

書籍を映像化するのはあまり好まない。

このお話は、先に映画を観てよかったと思う。(ドラマは一話だけ見て見るのをやめた。)

 

映画が上映される前、澪役の竹内結子がインタビューでこんな風なことを答えていた。

”脚本を読んで、「いま、会いにゆきます」というタイトルの意味がわかった時に涙が出てきました。”

私も、このタイトルの意味がわかった時、顔があげれなくなりました。(その前から泣いてはいたけど。)

 

 そして、DVDを買って一年後。

行く予定のなかった青森市の図書館で、私はこの本に出会うわけです。

海が見える空に近い広い図書館の中で、半分くらい、このお話を読みました。

巧が、佑司のために、そして忘れないために書いた小説。(という設定)。

言葉たちはとても優しく、流れる空気はとても暖かい。

”幸福なだけではないけれど”、誰かを愛することはとても幸せなことなんだ。

それは人それぞれで、どこかで秘めた想いを隠していて、それでも笑っていて。

「わたしはあなたを幸せにできていた?」「幸せだったよ」

それを確認するために、もう一度「出会い」と「別れ」を繰り返す。

 

映画とは違って、時間の流れがとてもゆっくりに感じました。

もちろん、2時間の映画よりも中身が濃いのは当たり前なのだけど。

巧と澪、巧と佑司、佑司と澪。巧と澪と佑司。

3人の関係性がとても複雑で、ただ「愛してる」だけではなくて。

こんなに深く家族を想うことができるのは、とても幸福であってとても苦しいことなんだと。

自分で選んだ人生。

この人生しかないと決めた。

だけど本当にそれでみんな幸せだった?

簡単に聞けそうで聞くのがとても怖い質問。

だけれど、言葉にしなければ伝わらない・わからない気持ちは絶対にある。

 

 小説の中の、「たっくん」と「佑司」の会話。

とても暖かくて、私もいつか子供ができたら、こんなお話をしてあげたいと思います。

二人の一つ一つのエピソードは微笑ましいし苦しくもなる。

こんなに必死で親密な関係を誰かと築きたくなる。

どちらが保護者かわからないけれど、たくさんの不具合を抱える父親を、煙たがらずに思いやる息子。

それだけでも胸が苦しくなる。

 

 ”幸せなだけではないけれど”、幸せなエピソードを大切にできることは幸せで。

だけれど、大切な人を大切にするのは難しい。

相手はそれで本当に幸せ?

そんな問いかけはきっとなくならない。

「愛があれば他に何もいらない」ようなお話だけど、本当にそれだけ愛せる人たちが現れたら

きっとそんな人生を選んでしまんだろうな。


2006/10/08 22:21 | Comments(1) | TrackBack() | 小説

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